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フラートンホテル シンガポール 歓待の掟

 5年前まだそのホテルはなかった。2年前3月の水曜日にトランジットの待ち時間が8時間ほどあったので、空港からボートキーまでタクシーを飛ばした。余談だが、そのタクシーの運転手に(まつ毛の発育が異常によく、長さがゆうに3センチはあるじいさんだった)おまえは日本語をしゃべっているけど台湾人か中国人だろうと、何度もしつこく言われるので、日本に住んでいるけど母親が台湾人で父親がモンゴル人でおれは香港で生まれたけどモロッコ料理が好きなんだ、と言ったら、ようやく静かになり、気づくとシンガポールの高層ホテルとはまったく雰囲気の違うホテルに着いていた。あのフラートンだ。
  郵便局を全面改装したというそのホテルはエントランスから一歩足を踏み入れた瞬間から、わたしがホテルで最高度に興奮した時にしかやってこないあの欲求がズンズンと押し寄せてきた。つまりなにはさておきラウンジのソファーでドライマティーニを飲むことなのさ。―THECOUNTRYYARD― 正面左右二つのゾーンに分かれたラウンジの、右スペースのさらに右奥あたりのソファーに二人で陣取り、通りかかったウェイトレスに、ドライマティーニを、タンカレーの、スティアーでね、とオーダーする。まもなく待ちに待ったドライマティーニがきた。リラックスタイムが今始まろうと・・・・?

  

←フラートン内「THE COUNTRY YARD」




でもなぜか色味が違う、少し緑色っぽい。それにライムの小さなスライスまで入っているではないか!しかもオリーブの実がない。ふた口ほどたしなんだ後グラスからピンを取り出し実を食べるのが好きなのに。すかさずあたりを見回す。キッチンの前にいたウェーターと目が合い、やってくる。わたしの知っているマティーニは、サムイ島でも北京でもハノーバーでもどこでも、ジンとオレンジビターとオリーブの実だけで、ときにはレモンピールを飲む直前にふりかけるんだ、それがすべてだと。しかしそのマレー系シンガポール人だろう名札にかかれた文字Ady何某は、ライムを使ったまさにこれがフラートンのドライマティーニだと言って、一歩も譲る気配がない。これじゃあギムレットだ、ジンライムだと訴えても、聞き入れてくれなかった。
  わたしたちはグラスには手をつけず、―JADE―で中華料理を食べることも忘れ、ホテルをあとにする。失意のどん底にたたきおとされ、そのままボートキーからシンガポール川に飛び込もうかとも考えた。だが汚そうだったので、やめて日本に帰ってきたのだった。帰りのシンガポールエアーの中ではいつものエマージェンシーイグジットの座席だったけど、着陸時に向かいに座ったキャビンクルーと目があっていくら彼らが話しかけたそうにしても一言もしゃべらなかった。(ごめんね、でもあのスチュワーデスはとなりのスタッフの若い男に間違いなく気があったな、ばれてるよ、うれしそうにひっきりなしに話し続けてたもんね)

 1年後の去年5月の木曜日、同じトランジットの待ち時間でチャンギ空港から再び中心地へ繰り出すことになった。1年ぶりのシンガポールだ。
今回は懐具合によって地下鉄だ。私たちはあの記憶が消えるはずもなく、一度行ったことのあるフォーシーズンズにしよう(ここのマティーニはバーテンらしき男がこまかくオーダーをきいていたわりには少しぬるかったけど、まだ午後2時前だったし、OK範囲にするよ)と話をしていた。 
  だがなぜか降りた駅は、Raffles Place。ふらふらと10分ほど歩くと、正面にシンガポールと数カ国の旗が夜風にひるがえる、ああ、また来てしまったフラートン!
  無意識に足が動きいつのまにやら、またあのソファーに腰掛けている。偶然とはおそろしいもので、オーダーをとりにきたのは、わたしたちが見まがうはずもない、あのAdy何某君だ。気のせいかもしれないけど、わたしには彼が少しほほえんでいるようにみえる。わたしたちはやや緊張気味だったけど静かな調子で、ドライマティーニ 1つ、と言う。
  彼は無言でうなずく。来るまでの時間は実際7分くらいだったけど、わたしたちにはとても長く感じられた。するとこのあいだのキッチンからではなく、右奥の ―THE POST BAR ―からグラス片手に彼が出てくる。私の前に置かれたグラスにはわたしがどこにいてもいつでも思い描くところのあのドライマティーニが天井のシャンデリアのあかりを表面にキラキラ映しながらわたしを待っている。わたしは思わず パーフェクト とつぶやく。彼は答える。これはあなたへのスペシャルだ、と。胸から熱いものがこみあげる。
そして2週間前の月曜日。でも彼はいなかった。マティーニを運んできたウェーターにたずねると、7月に突然やめていなくなった、という。二重の意味で悲しくなった。なぜならグラスにはオリーブの実もなくライムの小片が浮いていたから。

東京にはここ数年で外資系の高級ホテルが次々と進出するという。マンダリンも、そして、たしか、リッツも。そのラウンジにもしかしてAdyのほほえみが・・・・。

<あとがき>
・シンガポール フラートン ホテル:http://www.fullertonhotel.com/
Town Restaurant のシェフおまかせパスタが、おすすめです。
・シンガポール フォーシーズンズホテル: http://www.fourseasons.com/jp/singapore/summary/index.html
フォーシーズンズのラウンジ the Bar のドライマッシュルームなどのおつまみ、おすすめです。

 




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